わたしは小さい頃から図書館に通っていましたし、
生活に本のある家庭でした。
ですが、
小さい頃から司書になりたかったわけではありません。
就職氷河期と呼ばれた卒業時分
今は、人口が減ってきたことや、団塊の世代が引退し、就職しやすい時代に幾分なりましたが、わたしが就職活動を行っていたころは、
超就職氷河期&超不景気。
デフレスパイラルだのなんだの
色々言葉を変えて大人たちが今までと違う不景気さに右往左往していた時期でした。
そんなマイナス雰囲気に包まれた就職活動、こぞって安定志向に学生たちは傾き、
まして、長い間一人っ子のような生活をしており、競争社会に一切ついていけないわたしも、
お金を扱わず、ノルマもない公務員をなんとなーく目指しました。
ですが、ただ公務員を目指していても、勉強はつまらない。
そう思っていた短大時代に恩師と呼べる初めての先生に出会ったのです。
恩師との出会いで変わるわたしと学生生活
それまでのわたしは(いまもそうですが)先生という人種には好かれない人生を送っていました。
ですが、先生に出会い、勉強の楽しさを知り、知識がなくてはこの人とは会話ができない、失礼にあたると、勉学に励めるようになりました。
先生とは卒業して15年近く経ちますが未だ、仲良くさせていただいております。
短大生の頃は、この先生との出会いにより本当に勉強と学生生活が楽しく、週6マックスで2年間通いました。
家にいるより学校におり、バイトをしたのは学生生活の中でたったの3ヶ月間笑
図書館学はもちろんのこと、法律、英語、体育。
今までの学校生活の何倍も一生懸命がんばり、そして楽しみました。
その頑張りが認められ、オープンキャンパスで見学に来る高校生の対応を任されたり、学部代表で面接発表もしました。
意気揚々と卒業しましたが、公務員試験には受からず、、
念願の図書館員にラッキーの連続でなれちゃう
あれよあれよとラッキーが続いて、
民間企業に委託していいる会社に入ることができました。
そこから10年以上、図書館員として、司書をしています。
直営の司書さんに知識や熱量は到底及びません。お会いする機会があるとあまりの知識にこちらももっと勉強しなくちゃ!と刺激を受けます。
まとめ
就職氷河期と自身の性格で、まともに働いてはきませんでしたが、
利用者さんの喜んでくれるお顔と、何度も借りに来てくださることで毎日仕事が充実しています。
お金を扱わないことや、ノルマのないことで選んで仕事のように思っていましたが、今回司書になるために進んできた道をたどり直してみたところ、きちんと選んできたんだなと思えました。
「人の役に立たない仕事はないんだよ」と高校のときの国語の先生がおっしゃっていましたが、本当にその通りでした。
震災等で利用者さんが帰れないとき、食料のストックはないのでお渡しすることはできませんが、とりあえず、屋根のある少しは安心できる場所をご提供できます。
自衛隊ではないので救助はできませんが、なにかお手伝いすることはできるかもしれません。
震災のような非常時には一切お役には立てない仕事です。直接人を助けたり、直接人の役に立っているという仕事ではありません。
だからこそこの平常時にはより一層の知識と、安心をご提供したいと常々考えております。
行き場のない方々の安らぎの場になればいいなとも微力ながらお手伝いさせていただいております。
そんな光栄なお仕事をさせていただき本当にありがとうございます。
これからも精進していきたいと、初心を思い返したことで改めた思えました。
こんなわたしのなんともない司書になるまでのストーリーですが
お読みいただきありがとうございます。